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【驚愕】ヤバすぎる!昭和の知られざる生活環境 5選

昭和の高度経済成長期は、日本の経済が飛躍的に発展した時代でしたが、その裏側では現代では考えられないような生活環境が存在していました。今回は、当時の人々が直面していた生活の一端をご紹介します。

1. 恐怖のボットン便所

当時、多くの家庭で使用されていたのが「ボットン便所」と呼ばれる汲み取り式トイレです。狭く暗い空間に強烈な悪臭、そしてハエの大群。子供たちにとっては、用を足すだけでも大きな恐怖と戦わなければなりませんでした。このようなトイレは、鎌倉時代から長らく使用されてきましたが、戦後、GHQの指導により下水道の整備と水洗トイレの普及が進み、徐々に姿を消していきました。

2. 排泄物の海洋投棄

下水道の整備が追いつかない中、汲み取られた排泄物の処理は大きな問題となりました。一部では、海岸に穴を掘って埋める、または船で海に投棄するという方法が取られていました。1回の投棄量は数百トンにも及び、海面は黄色く濁り、特有の悪臭が広がりました。このような処理方法は、環境汚染や健康被害を引き起こし、その後の法整備や処理施設の建設により改善されていきました。

3. 深刻な大気汚染

高度経済成長に伴い、工場や自動車からの排出ガスにより、大気汚染が深刻化しました。空はどんよりと曇り、遠くはかすんで見え、外に洗濯物を干すと煤で汚れることもありました。特に、四日市市では「四日市ぜんそく」と呼ばれる健康被害が発生し、大きな社会問題となりました。

4. ゴミ問題とハエの大量発生

都市部では、急速な人口増加と消費活動の拡大により、ゴミの量が爆発的に増加しました。適切な処理が追いつかず、街中や川辺にゴミがあふれ、ハエやネズミが大量発生。小学校では、子供たちがハエ叩きを持参するほど深刻な状況でした。このような事態を受け、焼却処理やネズミ駆除作戦が実施され、その後のゴミ処理体制の整備が進められました。

5. 近すぎる新幹線と騒音問題

1964年に開通した東海道新幹線は、日本の高速鉄道の象徴でしたが、線路と民家の距離が非常に近い場所も多く、通過時の騒音は住民の生活に大きな影響を及ぼしました。学校では授業が中断されることもあり、訴訟問題に発展したケースもありました。その後、防音壁の設置などの対策が講じられました。

このように、昭和の高度経済成長の陰には、現代では考えられないような生活環境や問題が存在していました。しかし、当時の人々の努力と試行錯誤のおかげで、現在の快適な生活が築かれています。昭和の人々に感謝しつつ、今後も環境や生活の質を大切にしていきたいものです。